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野崎美夫の短編小説

「ベースラインに立ったら、もうだれの助けもかりられない。ベースラインに立ったら、もうだれを頼ることもできない。ベースラインに立つまえに、どんなトレーニングを積んできたか。テニスは、それをくらべあう闘いなんだ。」
半年ぶりのテニスコートだった。
きちんと整備されたクレーコートが3面。わたしたちがボールを追いかけていたころと少しもかわらない端正な表情を見せている。
春の陽射しを映して、ツヤツヤと輝いているこのコートのうえで、きょ年のいま頃わたしはサーブ練習を繰り返していた。
中学、高校、大学とテニスをつづけ、そのまえの年にはもう少しでインターカレッジに出場できるところだった。それが夢に終ってしまったのは、予選のファイナルゲーム、その最も大事なところでフォールトをつづけてしまったせいだった。自分がそれまでいちばん頼りにしていたプレーに、肝腎なところで裏切られたのだ。
女の子にしては背の高かったわたしは、それまでサーブはむしろ得意な方だった。それだけにショックは大きく、一転してサーブが最も苦手なプレイになってしまった。練習しても練習しても一向に変化はなかった。ますますサーブすることが怖くなっていった。
ただサービスコートにボールを入れることだけで精一杯になり、まったく勝てなくなってしまっていた。

「桜のトンネル」
桜が散る前に戻って来たかった。
  ただ、いつも人の絶えない花見の季節よりも、淡い黄緑から濃い緑へ、夏に向かってグラデーションしていく、瑞々しい若葉繁れる桜の道も、真人は好きだった。
  長かった海外赴任。また、神戸に戻ってこれた。
  神戸大学を卒業し、大手の製鉄メーカーに就職し、情報エレクトロニクス関連の部署に配属された。
  5年前、まだ30になる前に、生まれたばかりの長女、摩耶を抱き、妻とともにアメリカに赴任した。そろそろ娘も大きくなって、日本で育てたい、いや神戸で育てたいと思っていた矢先に、帰国の辞令が出た。
  「しばらく、ここでゆっくりして、いいおうち探したらええやんか」といってくれた母の言葉に甘え、灘区の実家に居候することにした。
  幸い母は実の娘のように妻をかわいがり、妻もまた実の親のように母を慕って、気心の知れた仲の良い友達のようにやってくれている。あわてて新居を決めるより、じっくりと、納得できる家を見つけようと思っていた。

約束の時間より、少し早くそのホテルに着いた。
駐車場に車を置き、ホテルの建物まで歩いてくるほんの数分にも満たない時間で、もう汗が吹き出ている。
車のドアを開けた瞬間、熱風が雄一を襲いかかった。 直射する日差しが、顔を焦がす。
今日のプレゼンテーションのために一睡もしていない身体には、ずいぶんこたえる。まだ二十代のうちは、こんなことはなかった。徹夜で遊んで、そのままオフィスに向かってもなんともなかった。逆に、少しハイ状態な心持ちで仕事をかたづけ、そんな日にかぎって、夕暮れになるとまた同僚を誘って街に出たりした。
三十をいくつか過ぎた頃、いまの若い奴は、と気がつくと口にしていたあの頃から、無理も効かなくなっていた。
いや、夜を徹して仕事をすることなど、なんの苦にもならなかった。
ただ、仕事で遅くなることを、場合によっては家に帰れないかもしれないことを妻に告げ、ひとわたりの文句を言われ、そしてまた仕事に集中する、その間の面倒くささや、なんとなく放電したまま翌日を迎えてしまうからだと心が、嬉々として徹夜をしていた二十代とは違っていることに気づかざるを得なかった。