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どう在るべきかを究め、ブレークスルーをご提案すること。それが私の使命です。
昭和33年6月20日、横浜に生まれる。
14歳まで横浜で育ち、15歳から埼玉へ。
埼玉県浦和西高校卒業。
テニス漫画で有名な『エースを狙え』の西高とは、
この浦和西高。
(描かれた原作者で漫画家の山本鈴美香先生は
浦和西高OGでいらっしゃいます。
ちなみに我が西高に硬式テニス部はありませんでした…。)
同志社大学文学部社会学科社会学専攻卒業。
大学時代は、体育会バスケットボール部に所属。
西日本バスケットボール選手権優勝を果たし
(ベンチにはもちろん入れず)、
全日本学生選手権で活躍したチームの仲間たちは、
中学時代、高校時代から日本代表のエリートたち。
(松下電器のキャプテン、三菱電機のスター選手等
同輩たちはいずれもバスケット界のスターでしたが、
いまはみんな引退して、会社で活躍しています。)
せいぜい関東大会出場、県大会ベスト4どまりでは
プロと素人ほどの技術レベルの違いがあり、
なんとか練習についていくのが精一杯。
(はじめての練習日、倒れて気づいたら練習が終わっていた…)
3年、4年とプレーヤーから主務、トレーナーに。
このとき、社会に出たらプレーヤーでありたいと誓い、
それがコピーライターを目指した動機のひとつ。
大学を卒業し、上京。
六本木の広告制作会社に入社し、
三年間、365日会社の机のしたで眠り、
パンフレットやマニュアルの
コピーを書き続け、指にできたペンだこはいまも残る。
赤坂の広告制作会社に転職。
ヤマハのテニスウェアや、スズキの軽自動車の仕事など
三年間、一日3時間の睡眠でコピーを書きつづける。
原宿の広告制作会社、原宿サン・アドに転職。
と、思ったらクライアントのひとつである
本田技研の青山本社ビルを追って赤坂へ。
シビックにはじまり、プレリュード、レジェンドと
F1も含めさまざまな本田車のキャンペーンに参加。
車以外のさまざまな広告キャンペーンも。
睡眠時間はまたしても3時間に。
30にして、フリーのコピーライターとして独立。
複数の広告代理店と契約。
クリエイティブディレクター、コピーライターの名刺を持ち、
あらゆる媒体、あらゆる業種の広告を手がけ
睡眠時間は4時間に増える。
1989年、自宅をオフィスに
株式会社エヌワイアソシェイツ設立。
ファックスとポケベルを駆使するも、
このままではいけないと、
東京六本木の10坪のオフィスを開く。
あれこれあれこれ仕事を手がける。
独立するとき、本田技研の販売促進部課長
丸山さんからいただいた
「野崎君、企業の浮沈を賭けた、そんな仕事をしないといけない。」
という言葉を胸に、自動車から化粧品まで
お話をいただいた仕事に全力投球をつづける。
美容メーカーさんのキャンペーンをお手伝いするなか、
美容室の広告研究の一環で美容室を経営することを勧められ、
日比谷に『ザ・ヘアラボラトリー銀座』をオープン。
オープン6ヶ月で、
4フロア、100坪、スタッフ数30名、月間売り上げ3000万円、
ストレートパーマで日本で二番目の美容室にする。
総広告費1億5千万円を使うことで、
クライアントサイドの立場を経験し、ノウハウも蓄積。
六本木のスタッフが5人に増え、
2フロアにオフィスを拡張。
スタッフが10名を越え、日比谷にオフィスを移転。
1998年、インターネット専門広告制作会社、
株式会社ドットコムワークス設立。
品川Vタワー誕生キャンペーンで、
日本初のインターネットを戦略的に活用した、
不動産広告キャンペーン、ドットコム戦略を企画制作。
2001年、スタッフが30名を越え、銀座並木通り、
並木ビル7階にオフィスを移転。
2003年、エヌワイアソシェイツ映像事業部発足。
テレビCFから番組制作まで手がける。
2005年4月、東京銀座に
株式会社インターストラテジーを設立。
マーケティング調査から商品企画、販売センター企画運営、
広告キャンペーン企画・実施プロデュースまで
日本初の、不動産事業のあらゆるドメインをカバーする
不動産専門のコンサルティングエージェンシーとして、
事業展開を開始。
株式会社エヌワイアソシェイツ、
株式会社ドットコムワークス合わせたスタッフが50名を越え、
2005年7月、銀座中央通りシャネルビル隣り、
大倉別館6階にオフィスを移転。

野崎美夫の広告以外の仕事
2000年春、
作家・画家・農園主、
玉村豊男のワイナリー&カフェ
DVDソフト『ヴィラデスト』、
企画・制作プロデュース。
2004年春、
アートディレクター&写真家、
高津央の写真集『Precious Blur』、
企画・制作・出版、写真展 プロデュース。
2004年秋、
アーチスト光豆の写真集『mitsumamemory』、
企画・制作・出版プロデュース。